投稿日:

ヴェネツィア特有のテラスに座り

ローマ皇帝ディオクレティアヌス時代に造られたディオクレティアヌスの橋

つまり太古の昔からここの観客たちは、舞台で繰り広げられる演劇を、圧倒的な力を誇示する大自然の借景のもとで眺めていたに違いない。さてシチリア島の最大の特徴は、何度も主人を代えたことによる文化の重層性にある。タオルミーナもその例にもれず次から次へと支配者を代えていった。中世には、この街は東ローマ帝国(ビザンチン)によるシチリア支配の拠点のひとつとなった。10世紀にはアラブ人が支配しており、岩の頂から街を見下ろす城も”サラセン人の城”と呼ばれている。

その後ここを統治したノルマン(ヴァイキングの末裔)王朝の時代には、街の現在の西半分ができあがった。彼らもまたこの地の絶景に驚いて、王宮へと詳細な報告を菩き送った。『グラン·ブルー』で、イタリア国旗を模した赤白緑の三色スイムスーツを着たエンツォは、無理な記録に挑戦して死んでしまう。そして彼を追うかのように、マイヨールもまた、深海でイルカについて行きこの世から去ってしまう。その後この予言に従うかのように、実在のマイヨール本人もイタリアで自殺を遂げた。

  • イタリアに実在する地名
  • ミラノの春はどんな季節と想像されるだろうか
  • 自分が院長をしている病院で診察しているのはもちろんとして

イタリア国内からの発信イタリア語学校は沢山あるし

イタリア自体ペスカーラ生まれのダヌンツィオが『死の勝利』で綴っているように、トラボツキがまるで「巨大グモ」のように網に掛かる獲物を狙っていた。美しく静かで厳かな雰囲気に満ちた由緒ある修道院。背後からゆっくりと近づいていった。飛び出た三つの半円形の祭室をもつ後陣が、息を呑むほど端正である。周囲は緑と花に囲まれた心が洗われるような優しさに包まれ、余計な装飾が一切ない、ストイックな雰囲気が漂っていた。

イタリア王国は言葉を失うほど厳かで、はるばる遠い日本から来て見学する価値は十分ある。オリーブの畑に囲まれた修道院は隠遁には格好な土地であった。ここでの精神生活はさながら雲上の天国にも匹敵したにちがいない。いんとん教会の中へ近づいて教会の門を開けようとしたが閉まっていた。この修道院のガイドブックを買うついでに、近くの売店にいた女性にいつ扉が開くのかと尋ねると、「神父が住む裏庭の建物にまわって、そこの呼び鈴をならしてみてください」と親切に答えてくれたそれほど観光地化されていない場所にちがいない。

タリアコッツォから私の旅は始まった

戦いに敗れ苦悩するアントニウスの心を癒してくれたのは、そうエリザベステーラー演じるクレオパトラのやさしい愛でした。勢いに乗ったオクタビアヌスは、クレオパトラに使者をつかわし、アントニウスの引き渡しを要求します。愛するアントニウスの将来を考えクレオパトラは申し出を承知するのでした。ところがこの屈辱にアントニウスは使者をムチ打って追い返し、敢然と戦いを挑んだのですが、圧倒的な軍勢を誇るオクタビアヌス軍が勝利を納めます。さらに敗れたアントニウスはこの戦いのすべての敗因はクレオパトラの裏切りにあると、いまにも彼女を殺さんばかりに激怒するのでした。

日本人学校に通う娘の中学の社会科の教科書にまで登場していたのには驚いた

ローマへの帰途恐れをなしたクレオパトラはアントニウスの気を沈めるために、砂漠に眠る秘密の廟に身を隠します。ある日、クレオパトラはアントニウスの愛を確かめるために、彼の怒りに苦悩するあまり自らの命を絶ったとの偽の知らせをアントニウスのもとに届けたのです。アントニウスはこの知らせに深く悲しみ絶望に打ちひしがれ、剣の上に身を伏せ、彼女の胸の中で死ねるように衛兵に命じて、クレオパトラの秘密の廟に運ばせました。運ばれてきた瀕死のアントニウスに、クレオパトラは悲しみの涙で頬を振るわせて、2人の運命の非情さを嘆き悲しみ、毒蛇を胸にあてがって、アントニウスの傍らに横たわると静かに息絶えるのでした。アウグストゥス(オクタビアヌス)前63~後14さて、実はシーザーの遺言により、養子かつ相続人となったのがこのオクダビアヌスだったのです。