ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝えています

ミラノからの高速道路がルガノ湖を渡ってすぐにトンネルで通り抜ける!もう一つは市内東側の湖畔に聳えるモンテ·ブレ

イタリア人は元気が良い(実際には同じイタリアで一九三0年代に平均時速二00キロという、当時としては驚異的なスピードで走らせたETR一100という特急電車もあり、この技術がセッテベロにつながっているのだが。日本でも他の欧州諸国でもまだ電化区間がそれ程多くなかったこともあろうが、長距離の特急列車は電気機関車や蒸気機関車が客車を引っ張るのが常識で、現在でも欧州諸国の特急列車は機関車が牽引するのが普通だ。特にまだ電気系統の技術に信頼性が低かった!九五○年代に全車両電車の特急を看板列車として走らせるのは大いなる賭であったろう(まさかそれでトランプの役の名前を付けた訳ではあるまいが)。山の多い日本では動力が各車両に着いている電車の方が加減速に優れているので、現在では電化区間を走る特急は殆ど電車特急になってしまったが、イタリアも日本同様の山国で、特にミラノ·ローマ間は最長十八·五キロのトンネルを含むアペニン山脈越えの難所のために動力分散型の電車特急を開発高速鉄道への道を開いた訳で、したのであろう。この特急がきっかけとなって、世界中で特急電車の開発が進み、日本が誇る新幹線の生みの親とも言えるのである。
シーザーのエジプト滞在は9ヶ月におよぶのでした。そしてなんと二人の間には子供が誕生します。カエサリオンと命名。その美しさに一目惚れするのでした。紀元前46年、やっとローマに戻り、独裁官(ディクタトール)に命ぜられ、それも当初の任期10年が終身にかわり、文字通りローマの最高権力者の座に上るのでした。

情熱の国スペインのお土産と言えばこちら

ミラノの街並み撃されたり、更にはフランス、スペイン、オーストリアなどに支配される時代が19世紀半ばまで続きました
それでも各地の反乱を鎮めるために各国を飛び回るシーザー。紀元前45年やっとローマに凱旋し、こんどこそはローマに居座ろうとなんと最愛の女性クレオパトラとカエサリオンをつれてやってきたのでした。ローマにはもちろん正妻がいます。複数の愛人はシーザーだけのことではなく、当時のローマの支配階級の常ではありましたが、その愛人が外国の女王となると話は別です。なんとこのクレオパトラの動向が政敵の怒りを買っていたのでした。

 

イタリアでは地域経済の発展にともなって、都市周辺部コンタードにある農場を、都市生活者が遠隔経営する形態が広まっていた

ミラノのゴミの引き取りを拒否すると言う事態にまでこじれたこと
イタリアも国民の期待を担ったサッカーは予選落ち、男子バレーボールは宿敵オランダと決勝で対戦し、かろうじて銀メダルを取ったものの、得意の筈の水球も銅メダルとチームスポーツは今一つ不振
日本では小田急と名鉄のロマンスカーがそのデザインを引き継いでいると言えば、「セッテベロ」を知らなくともそのスタイルの想像がつく人が多いであろう。残念ながら私はこの特急に乗ったことがないので、全社一等という車内を直接見たことがないが、写真やフィルムで見る限りゆったりとした豪華なデザインである。アイボリーと緑の車体の側面には「セッテベロ」の愛称の元となったトランプのカード七枚が描かれている。まさに、この特急は当時のイタリア国鉄の切り札だった訳だ。もう1つこの特急がユニークだったことは世界でも最も初期の長距離電車特急であったことである。

ローマだけの特殊な現象だとか(実際には同じイタリアで一九三0年代に平均時速二00キロという、当時としては驚異的なスピードで走らせたETR一100という特急電車もあり、この技術がセッテベロにつながっているのだが。日本でも他の欧州諸国でもまだ電化区間がそれ程多くなかったこともあろうが、長距離の特急列車は電気機関車や蒸気機関車が客車を引っ張るのが常識で、現在でも欧州諸国の特急列車は機関車が牽引するのが普通だ。特にまだ電気系統の技術に信頼性が低かった!九五○年代に全車両電車の特急を看板列車として走らせるのは大いなる賭であったろう(まさかそれでトランプの役の名前を付けた訳ではあるまいが)。山の多い日本では動力が各車両に着いている電車の方が加減速に優れているので、現在では電化区間を走る特急は殆ど電車特急になってしまったが、イタリアも日本同様の山国で、特にミラノ·ローマ間は最長十八·五キロのトンネルを含むアペニン山脈越えの難所のために動力分散型の電車特急を開発高速鉄道への道を開いた訳で、したのであろう。この特急がきっかけとなって、世界中で特急電車の開発が進み、日本が誇る新幹線の生みの親とも言えるのである。

 

イタリアの三分の一を支配するドイツ人の神聖


フィレンツェに1年間住んだときのことを思い出した
聖ペトロキリストの弟子であった聖ペトロは、このローマ帝国の中心であるローマへ、キリスト教布教のために赴きます。しかしもちろんのこと、迫害されない訳がありません。その理由はとても明白。ローマ帝国では皇帝が番でなくてはいけません、しかし、キリスト教は神が番というではありませんか。張りつけの際に、イエスと同じように十字架に張りつけられるのはめっそうもないと、逆さ十字を希望、そして殉教。

イタリア映画のワンシーンの中に自分がいるようで、不思議な錯覚にとらわれた
その遺体があるところが、そう、今のバチカン市国、サンピエトロ(セイントペトロ、聖ペトロ)大聖堂なのです。それが故に、ローマの中心に、ローマ帝国が迫害してきたキリスト教総本山、バチカン市国が存在するのです。そして彼はイエスより、天国に昇るための鍵を預けられた人なので、彼の象徴(アトリビュート)は鍵。そして下記の写真をご覧ください。この大聖堂の前に広がるサンピエトロ広場の形は鍵穴の形をしているのです…聖パウロ彼は実はクリスチャンではありませんでした。