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イタリアでいまも国民的な人気を誇る聖女

ヴェネツィアに次ぐヴェネト州第二の都市で

「君は法王庁の裁判官になる資質をもっている。だが、裁判官は聖職者からしかなれない。君のもっている法学の学位だけでは足りない。神学の学位をパドヴァ大学に戻ってとってきなさい」「わかりました。聖職者になってまたローマに戻ってまいります」ここで言う神学の学位だが、イメージとして「神学と論理学」だと思いがちだが、実は、哲学、数学、物理学、天文学、形而上学を含む幅の広い学問であった。これは小麦の産地に近いことと気候が麺を乾燥させるのに適していたためだそう

ヨーロッパの宮廷祝宴で好評を博したという

神父になるためには神の存在を弁証できる能力が求められ、かつ、神が創造した自然科学を研究することが必要であった。だが、大学に再び戻ると、きまじめでいながらも情熱的なアレッサンドロは、これまで張り詰めていた糸がきれたかのように、一人の女性に恋をしてしまう。その名はフランチェスカーナ·トローナ。ダンテがベアトリーチェに一目惚れしたのと同じであった。私は、どうしてもこれが真実かどうかヴァリニャーノにそのことを聞いてみたかった。


フィレンツェの男と女として公認された
フィレンツェの男と女として公認された

イタリアでは日本人がいない場所を探すのが難しいほどで

フィレンツェに工房をもち通称ヴェロッキオ親方の弟子だった当たり前の話だが、子どもは育った環境で色々な仕草を覚える訳で、日本人の子ども達もイタリア人の子ども達と一緒にイタリアの幼稚園に行けば、イタリア的ボディーランゲージを覚えるのは当然。ミラノの日本人学校では年に一回、学習発表会と言って学芸会のような催し物があるのだが、特に小学校低学年の子たちの仕草を見ていると素直に日本的、イタリア的表現が出て来るので楽しい。普段、街中や事務所で見ていてこれまた面白いのは、電話でも同じく口八丁、手八丁が出て来ることだ。もっともイタリア人から見ると、電話に向かってしきりにお辞儀をする日本人がいるのが面白いと言うから、まあお互い様か。最近は携帯電話が増えたから街を歩いていると、向こうから片手に携帯電話、空いた手を激しく上下に振りながら歩いてくるイタリア人によく出会う。ヴェネツィアではちょっと難しいかも知れません例え電話と言えども、会話の相手に自分の意のあるところを通じさせようとすれば、手を使わねばバランスが取れない、あるいは気持ちが収まらないといったところだろうか。イタリア人は口から生まれたのではなくて、手から生まれたのかもしれない。くリにライタリアには警察官の種類がやたらに多くて戸惑ってしまう。街で良く見かけるのはカラビニエーリという憲兵で、これは津々浦々まで駐在所があって、黒地に赤い文字を浮き立たせたアルファロメオに乗っており、制服も黒字に赤とおしゃれである。大都市の駐在所の前や空港には軽機関銃を下げたカラビニエーリが立っていて物々しい。

日本の喫茶店と同じ様なものだと思っていれば間違いない

谷間だから橋を架けるのは不思議ではない。この日に出勤すると道は空いているし、取引先に電話をしても担当者が休んでいることも多く、それどころか全社休業という会社もあって、自分だけ働いているのが悪いことをしてるような気持ちになるから不思議である。しかし、考えてみれば、一年の内まるまる1カ月休んで、経済活動と生活水準を維持しているというのは大変なことだ。日本で同じようなことになったら一体どうなることだろうか。残り十一ヶ月を一所懸命に働いて結構うまく乗り切ってしまうような気もするが。


ミラノの歩道には屑入れが沢山設置され
ミラノの歩道には屑入れが沢山設置され

各方面で異民族とのいさかいが続いていた

イタリアは中に一歩入れば表とは別世界。ミラノ中心部の街も一歩建物を裏に抜けると表通りとは別世界で、鬱蒼と木の茂った緑豊かな中庭が広がり、中には孔雀やフラミンゴを飼っている所もあるとか。よく晴れた日にミラノの中心にあるドゥオモの屋上にのぼると、表通りには街路樹もないのに、建物に囲まれた中庭やビルの屋上から木々の緑が見えるのに気付く港町ジェノバに行った時のこと。険しい山が海のすぐ側まで迫っているこの港町は、日本で言え余談であるが、ば神戸か長崎に似て、ここの旧市街の裏町は狭い路地が迷路のように入り組んでおり、昼間でも日が射さない不気味なところだ。怪しげな人々があちこちに佇んでいたり、何を生業としているのかよく判らない店がそこここにある。セルビアなどが攻撃してくるのでした